akiyoの歴史
私のこれまでとサロンOPENに至った経緯をお伝えします。
1989年双子の妹として出雲市に生まれました。
両親が飲食店を営んでいたため、弟も合わせて3人姉弟で祖父母に育ててもらい海の近い田舎で過ごしました。祖父母も姉弟も親戚も常に誰かがいたので寂しい思いはしなかったです!
その頃、父親は毎日仕事で家にいることはほとんどなく
母親は毎日疲れているけどイライラしていたり怒られた記憶がないです。他の家庭と比べて両親と過ごす時間は短かったですが、愛情はたくさん感じれていました。
いつしか両親を心身ともにサポートしたいと思うように…
専門学校まで島根県で過ごしたため、一度は県外へ出てみたいという思いで
恩師から「住めば都だよ」という言葉に背中を押され
誰も知り合いのいない広島県の総合病院へ勤務を決めました。
先輩・同僚・後輩にも恵まれ、忙しくも毎日楽しく仕事ができました!
先輩からの紹介で他の病院に勤めていた夫に出会い、4年付き合ったのち結婚を決めました。4年の内2年間は広島と仙台の遠距離でゴールイン!笑
結婚してすぐに長女を妊娠することができました
1人目の時はお腹の張りが強い中、最後まで仕事もでき、産後は寝不足・疲れ・イライラ・腱鞘炎を経験したがいつかは治ると思って何もしなかったし、これが普通かと思ってしまっていた。娘は寝ることが苦手で、ご飯も偏食でたくさん悩みました。初めての出産育児で全て自分でやろうとして夫にも頼れず楽しむ余裕もありませんでした。
初めての出産や育児は育児本通りに行かないこともあり、一人一人に寄り添えることができる場所を作りたいと思い始めていました。
日々に追われ、自分のことは後回しに…
育児と仕事の両立でお腹の張りは毎日ありながらも、張り止めを内服しながら仕事を頑張っていましたが、2人目妊娠24週で切迫早産の診断を受け、4か月の自宅安静を経験。職場にも家族にも申し訳なさでいっぱいに。娘を抱っこしてあげれない悔しさが一番心に残っています。やっと夫や周りの人に頼ることを知りました。
また、その時すでにマイナートラブルをたくさん経験(首・腰・恥骨・股関節の痛み)。骨盤ベルトが手放せず、いろいろ調べたけど何をどうケアしていいか分からず、ひたすら安静に過ごす日々でした。
今だったらやれることたくさんあり、妊娠前からケアをしておけば自分の切迫早産は防げたんじゃないかと思います。(これは一意見ですが)周りにも切迫早産の方が多かったので、中には同じ経験をしてほしくなく、頼れる場所を作り、マタニティ生活を楽しめる女性が増えて欲しいと思う大きな出来事の一つです。
この経験がなければ、サロンを開きたいと思わなかったと思います。
4ヵ月安静にしたので、筋力低下がひどく至るところの痛み(腱鞘炎、腰痛、股関節痛、恥骨痛)や尿もれ、イライラ、睡眠不足を経験。痛みをとろうと整骨院やカイロプラクティックに何度か受けに行ったがすぐに元に戻るを繰り返しずっとモヤモヤ。
産前産後に関わるPTが開催される体操教室に行ったことがきっかけで短時間でも自分と向き合うことで体も心も軽くなり、どんどん行動したくなりました!
広島のセラピストさんからいろいろお話を聞き、アカデミアの存在を知り、全国にももっとママをしながらも独立されている方を知りました。
私も変わりたいと思い、産前産後の学びをスタート!
仕事復帰も迫っていたのでこのままだと体ボロボロで働けないと思い、サロンやオンラインでピラティスを受けながら、少しずつ自分の体を整えていきやっと自分の体が楽に動けるようになりました。おかげで、たくさんの方に出会い育休を楽しむことができました。
自分の体をケアをしたときは夫にも子どもたちにも優しく接することだでき、産後ケアの重要性を身をもって感じました。
地元の出雲でもっと産前産後ケアを広め、自分も届ける側になりたいと思うようになりました。
2番目の子が1歳になったときに総合病院へ仕事復帰し、階段の上り下り、休む間もなく働いたり介助量の多い方を担当し、毎日疲れ、子どもと遊ぶ体力や気力が残っていなかった。時間や心身にも余裕がなく子どもや夫に当たってばかりの日々でした。
アカデミや入会(オンラインサロン入会)
職場を変え、自分がやりたいこと(産前産後ケアの勉強、子どもたちとの時間を作る)へ時間を費やすように。やりたいことをやっていると時間がなくても心に余裕がもて、家族に優しくできるようになりました。
どうやったら家族との時間も確保して自分のやりたいこともできるようになるかを考えるようになったことで家族も協力的になり変化していきました。
より学びを深めるなかで、サロンを開業する思いが強くなっていきました。
最後まで読んで下さりありがとうございました。
2024年は学びやサロン準備、家族との時間で忙しくも毎日充実した日々でした!
さらにたくさんの方との出会いもあり、より価値観が変わりました。
学んだことを2025年は出雲市の女性へ届けます!!